名人(めいじん)は、優れた技能を持つ棋士に対する敬称。江戸時代から昭和初期にかけては名人は天下に1人と定められていた。現代では、囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトルとなっている。, 「名人」の語は、織田信長が一世本因坊本因坊算砂(日海)の囲碁の腕を讃えて「そちはまことの名人なり」と称揚されたことに由来しているとされる[1]。ただし、証明する資料は一切なく、また、算砂の師匠の仙也も存命であり弱冠20歳の算砂が「名人」と呼ばれたとは信じがたいとの主張もある[2][3]。鎌倉時代の『二中歴』(ca.1210–1221) にはすでに、囲碁と雙六の名人についての記述がある[4]。また、『正徹物語』(ca.1450) にも「名人」の用例がある[5]。, 江戸時代、「名人」は幕府の家元制度の元で囲碁界を統括する立場として確立した。名人の地位に就いたもののうち、寺社奉行から許しを得て碁界の取りまとめ役となったものが「名人碁所」である。名人碁所は棋士全ての段位認定権を持ち、囲碁界の最高権力者であった。この地位をめぐり数々の死闘、暗闘が繰り広げられた。江戸時代から昭和初期に至るまでは九段が即名人を意味しており、天下にただ1人だけと定められていた。また、八段は準名人、七段は上手(じょうず)とよばれた。, 1924年に日本棋院が設立されてからは大手合による段位の認定が行われるようになり、本因坊秀哉名人引退後は、九段と名人の地位は別のものと定められた。, 本因坊秀哉名人引退後、本因坊の名跡は本因坊戦に継承されていたが、名人の地位については決まりがついていないままであり、大手合による九段昇段者が出たことでもその意味を明確化する必要性があった。, 将棋界では名人戦が創設されて人気を博しており、当然囲碁においても同様の形式が期待されてもいた(1934年、東京日日新聞主筆の阿部眞之助が囲碁及び将棋の「実力名人戦」を企画し、1935年に将棋の名人戦が開始したが、囲碁は本因坊秀哉の意向もあり本因坊戦とされ1939年に開始した[6])。これは坂口安吾の論評「碁にも名人戦つくれ」(1949年毎日新聞大阪版)にも現われている。, 日本棋院では1949年の「日本棋院囲碁規約」に「名人規定」を盛り込んだ(①本因坊経験者、②段位九段、③七段以上と18局打ち平均65点以上、という3条件を満たしたものが、さらに「名人選考委員会」にて合格したものを推挙するとされた[7])が、具体的な棋戦などは定めず、実際に当時の第一人者と目される読売新聞嘱託の呉清源を加えた棋戦の実現は難しい状況でもあった。, 1951年、朝日新聞は呉清源、藤沢庫之助、橋本宇太郎、木谷實による四強争覇戦を企画したが、立ち消えとなる。1952年に朝日は大手合を発展させて将棋と同様の順位戦制度による名人戦を企画、呉清源にも出場の承諾を得て、契約金1千万円を提示した。日本棋院では渉外担当理事の高川格がこの推進役だったが、木谷實の「名人は作るものではなく、自然に生まれるまで待つべきもの」といった反対論も根強かった。棋士全員による評議委員会では1票差で賛成多数となったが、僅差であることを懸念した高川が理事長の三好英之と相談の上でこれを撤回し、高川ら賛成派理事は辞任した。また朝日側の根回し不足から、関西棋院も不参加を表明。朝日はついに断念し、朝日・毎日・読売の新聞三社と日本棋院で、名人戦の呼称は使用しないことなどを申し合わせた。朝日はこの代わりとして1953年から最高位戦を開始した。一方で、1956年まで呉清源の十番碁を開催していた読売新聞社も1957年に「実力名人を決める」と謳った日本最強決定戦を開始した。, その後日本棋院では、物価上昇に比べて棋戦契約金が増えず、また棋士の増加もあって財政難となりつつあった。1960年に渉外担当理事となった藤沢秀行は、この解決策として名人戦創設を計画する。藤沢はこの年の本因坊戦の挑戦者となるが、対局料が1局6万円という安さだったのもその意識に拍車をかけた。当初朝日新聞に提案したが交渉はうまくいかず、次いで読売新聞と交渉して契約金2500万円で話をまとめ、棋士総会でも70対4の圧倒的多数で承認された。こうして関西棋院所属棋士や呉清源も参加する名人戦が読売新聞の主催で創設された。しかし朝日新聞はこれを機に大手合、最高位決定戦のスポンサーを降りることとなった。, 名人戦スタート当初には橋本宇太郎らの「十番碁の覇者である呉清源を初代名人に推戴して始めるべきだ」との声もあったが、結局呉清源を含めた当時のトップ棋士13名による大型リーグ戦で第1期名人戦を開催することとなった。1961年から1962年にかけて行われたリーグ戦では、最終戦で藤沢秀行(9勝2敗)・呉清源(8勝3敗)・坂田栄男(8勝3敗)の三者による優勝争いとなった。藤沢は最終局橋本昌二に敗れて9勝3敗でリーグ戦を終了し、藤沢が「プレーオフに向けて英気を養うため」酒を飲みに行っている間に、坂田-呉戦(黒番坂田・白番呉)は終盤呉の猛追によりジゴでの終局となった(コミは5目であった)。名人戦の規定ではジゴは白勝ちとしていたが、通常の勝ちより劣ると定められていたため、9勝3敗の同率でありながら藤沢が呉を「半星」上回る形で初代名人になった。藤沢は渉外担当として名人戦設立に当たり、自ら名人位を手中にするというドラマチックな幕切れであった。, 第2期名人戦では、坂田栄男本因坊が藤沢秀行を破り、名人本因坊の称号を手にする。この時最終第7局での120手目のノゾキは「天来の妙手」と呼ばれ、名人位の行方を決定づけた一着として有名である。坂田は第3期も防衛の後、1965年第4期には23歳の林海峰が挑戦者となる。予想は当時全盛の坂田が圧倒的に有利であり、坂田は七番勝負1局目に勝った後、「20代の名人などありえない」との発言も出た。しかし林はその後盛り返して4勝2敗で名人位となり、一大センセーションとなった。林は1968年に本因坊位も奪って名人本因坊となり、坂田一強時代はここに終焉した。, 続く1968年の名人戦では53歳の高川格が林から名人を奪い「不死鳥」と呼ばれる。1973年には石田芳夫本因坊が林に挑戦し、3連勝と一気に林を土俵際に追い込んだ。しかし第4局、林は驚異の粘りでジゴ勝ちに持ち込むと、あと3番を制して防衛。3連敗4連勝は七番勝負史上初であった。しかし翌年は石田の再挑戦に敗れ、石田が名人本因坊となる。この間林は連続10期名人戦七番勝負の舞台に登場し、挑戦した時は全て奪取を果たすなど「名人戦男」の名をほしいままにした。旧名人戦最後の第14期には石田の兄弟子・大竹英雄が挑戦者として登場、タイトルを奪取した。, 一方で、名人戦の契約金は高度成長期にあって1970年まで変わらず、74年でも2750万円に留まっていた。日本棋院はこの状況を打破するため、1974年12月3日に読売新聞に対して名人戦契約を第14期で打ち切ると通告、次いで12月12日に朝日新聞と1億円の契約金で第15期以降の仮契約を交わす。, これに対し読売新聞は、朝日以上の契約金で日本棋院に再交渉する。日本棋院では当初は朝日移管に対して棋士180人中反対者2人のみだったが、読売支持も増え始めて混乱し、理事会は総辞職する。しかし選挙による新理事選出では朝日派8人、読売派3人となった。読売は1975年7月26日に名人戦の契約を求める仮処分を申請、8月21日に本訴訟を起こす。また読売及び、朝日を除く各マスコミでは、日本棋院を批判する論調であった。しかし裁判は日本棋院有利に進み、12月10日に日本棋院顧問の岡田儀一による斡旋案「名人戦は朝日と契約」「読売は序列第一位の新棋戦、最高棋士決定戦・棋聖戦を新たに契約」(岡田私案)により、読売と日本棋院は和解することとなった。この一連の経緯は「名人戦騒動」と呼ばれている。この騒動は、当時朝日と契約していた将棋の名人戦の契約金問題(囲碁同様長く契約金が据え置かれていた)にも波及している。, 朝日新聞主催となった新名人戦で、当初活躍したのは大竹英雄であった。林海峰との戦いは「チクリンの名勝負」と呼ばれ、ファンを湧かせた。大竹は旧名人戦14期から6期連続で七番勝負に出場、「名人戦男」と呼ばれることになった。, その大竹から名人位を奪ったのは弟弟子・趙治勲であった。趙は第6期(1980年)、24歳の若さで名人を奪取し、祖国韓国で囲碁ブームが巻き起こるきっかけを作った。1983年には棋聖・本因坊と合わせ、史上初の大三冠を達成する。1984年の第9期、趙は大竹英雄に3連敗後4連勝して前人未到の名人5連覇を果たし、初めて名誉名人の資格を得る。しかし6連覇がかかった1985年・第10期に小林光一が悲願の名人奪取。ここから趙・小林の角逐時代が本格的に幕を開けた。, 1986年の第11期には、加藤正夫が1981年以来二度目の挑戦にして初の名人奪取。翌年も林海峰相手に防衛を果たし、七大タイトルのうち四冠を制する。しかし1988年、小林が再び名人奪取。ここから小林の長期政権が始まる。中でも1992年第17期の、兄弟子大竹英雄を挑戦者に迎えての第7局では、終盤まで劣勢であった小林がヨセでワリコミの妙手を放ち逆転に成功。この一局は名人戦史上に残る名勝負といわれる。これを含め、大竹は趙・小林に計6度挑戦を果たしているが、奪取は果たせなかった。, 1995年の第20期、小林の8連覇を阻んだのは、かつて石田・加藤とともに「木谷三羽烏」と呼ばれながら、名人戦に縁のなかった武宮正樹であった。この第5局、武宮は攻め合い負けと見えた石を第一線マガリの妙手で逆転。小林は局後に「恐ろしいものを見た」と何度もうめいたといわれる。この局も名人戦史上に残る一番として名高い。, しかし翌年には天敵・趙治勲が12年ぶりに名人戦の舞台に登場、4-2で武宮を降して名人復帰を果たした。趙は以後4連覇、再度の大三冠も達成し、第一人者の貫禄を見せつけた。, 2000年の第25期には、依田紀基が二度目の挑戦で趙を4-0で下し、タイトルを奪取した。これにより名人位は、23年ぶりに木谷一門の手から離れることとなった。依田は趙の2度にわたるリターンマッチ、史上最年長での挑戦となった林海峰などを撃破し、4連覇を果たす。, 2004年、挑戦者として張栩が登場。依田を下し、24歳の若さで史上5人目の名人本因坊の地位に就いた。さらに2006年には高尾紳路がリーグ初参加初挑戦(史上初)。このシリーズ第4局はコウ争いに次ぐコウ争いとなり、364手という激闘となった。これを制した高尾はその勢いのまま名人を奪取し、史上6人目の名人本因坊となる。しかし翌年には張栩がすかさずこれを奪回、2008年には史上最年少19歳で名人戦挑戦者となった井山裕太を迎え撃ち、4-3で防衛。翌年には名人含め、現行七大タイトル史上初の五冠を達成した。, しかし2009年、井山裕太はリーグ戦を8戦全勝で勝ち上がり、前年に続き挑戦権を獲得。その勢いのまま4-1で張栩を撃破、史上最年少で名人の座に就いた。なお、20歳4ヶ月での獲得は、7大タイトル戦でのタイトル獲得の最年少記録でもある(その後、芝野虎丸に記録を破られる)。井山は翌年も高尾紳路の挑戦を4-0のストレートで退け、若き実力者として君臨した。, 2011年、山下敬吾が8年ぶりに七番勝負に登場。井山を4-2で破って初の名人位を獲得するとともに、史上7人目の名人本因坊となった。翌2012年は、井山とのプレーオフを制して羽根直樹が名人初挑戦を果たしたが、フルセットの末に山下が防衛を決めた。, 2013年の第38期には井山裕太が挑戦者として再登場、4-1で山下を降し、36期の雪辱を果たした。翌2014年には、七番勝負初登場となった河野臨が挑戦者となるが、井山は4-2のスコアで勝利、2連覇となった。2015年にも井山は高尾紳路をストレートで降し、その勢いのままに2016年には史上初の七冠独占を果たす。しかしこの年の第42期名人戦では、高尾が4-3で名人位を奪取して、井山のタイトル独占を切り崩してみせた。, 2017年、井山は高尾に奪われた名人以外のタイトルを全て防衛し、名人リーグも8戦全勝で勝ち上がって挑戦権を獲得。七番勝負では高尾を4-1で降し、再度七冠王に君臨した。これらの功績により、井山は2018年に囲碁界では初となる国民栄誉賞を受賞した。, 無敵とも見えた井山だが、2018年の第43期には張栩が1勝3敗から後を3連勝し、10年ぶりの名人奪回を果たした。, 2019年の第44期では初挑戦の芝野虎丸が4勝1敗で張をくだし、七大タイトル史上最年少での名人位を獲得(19歳11ヶ月)した。, 1961年より読売新聞主催で始まり、1976年からは朝日新聞社主催で開催されている。, 読売新聞時代の名人戦は「旧名人戦」と呼んで区別されている。現行の名人戦は移管後新たに「第1期」からカウントしているが、旧名人戦最後のタイトル者大竹英雄は移行時にもその地位は持ち越され、現行名人戦の第1期に挑戦者を迎えることとなった。, なお、「名人」を冠した棋戦はほかにもあり、日本には十段戦の前身となった早碁名人戦、女流棋戦の女流名人戦などがある。また、韓国、中国、台湾にも同名の棋戦がある。, 9人が参加するリーグ戦を行い、一位になった者がタイトル保持者と挑戦手合七番勝負を行い、優勝者を決める。七番勝負は例年9月から11月にかけて、持ち時間8時間・2日制で、全国の高級ホテル・旅館を舞台として開催される。, リーグは予選トーナメント勝ち抜き者3名、前期からの残留者5名、七番勝負敗者1名から成る。名人リーグは棋聖・本因坊リーグと並んで「黄金の椅子」とも呼ばれ、この3大リーグに参加することが一流棋士の証とされている。六段以下の棋士が名人リーグ入りを果たした場合、七段に昇段する。またリーグに優勝して挑戦権獲得が決まったら八段に、さらに名人位を奪取した場合九段へ昇段する。, 名人を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、引退後または60歳以降に「名誉名人」となる資格を得る。, 2019年現在、名誉名人の称号を持つのは趙治勲・小林光一の2人で、小林は60歳を迎えた2012年より、趙は2016年よりそれぞれこの称号を名乗っている。, 終身名人制は江戸時代から本因坊秀哉の引退まで続けられた。ただし、安井算知は生前の1675年に名人を返上している。, また、将棋とくらべると名人空位の期間が多く(名人空位の期間は本因坊家が碁将棋家のとりまとめをしていた)、そのため、終身名人の人数も少なくなっている。さらに、将棋の場合は「〇〇世名人」と、終身名人になった代数で呼ばれることが多いが、囲碁の場合は終身名人の代数で呼ばれることは少ない。, 1976年以降の名人リーグ。順位は前年リーグ成績が反映された序列(前回のタイトル保持者or挑戦者が1位)。6位までが前回のリーグ残留者。7位3人は予選トーナメント勝者。名人位は前期の名人獲得者。, 名人戦が読売から朝日に移った1976年に、朝日新聞は臨時棋戦として八強争覇戦を開催した。出場棋士は、前期名人・王座の大竹英雄、本因坊石田芳夫、十段林海峰、天元藤沢秀行、NHK杯坂田栄男、早碁選手権橋本昌二、プロ十傑戦趙治勲のタイトル保持者、及び橋本宇太郎の8名で、トーナメント戦形式で行い、決勝は三番勝負。当時19歳で、前年に最年少タイトル獲得をしていた趙治勲が優勝した。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=名人_(囲碁)&oldid=80132128, 囲碁名人戦全記録 第1期 (大竹英雄,名人位に) 朝日新聞東京本社学芸部 編 朝日ソノラマ 1977, 囲碁名人戦 第7期 (趙治勲名人対大竹英雄九段) 朝日新聞社東京本社学芸部 編 朝日ソノラマ 1983, 囲碁名人戦全記録 第8期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1984, 囲碁名人戦全記録 第9期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1985, 囲碁名人戦全記録 第10期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1986, 第十七期囲碁名人戦第三局開催記念中遠支部二十年のあゆみ記念誌 日本棋院中遠支部 編 日本棋院中遠支部 1993, 囲碁名人戦全記録 第20期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1996, 囲碁名人戦全記録 第21期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1997, 囲碁名人戦全記録 第22期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1998, 囲碁名人戦全記録 第23期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1999, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第24期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2000, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第25期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2001, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第26期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2002, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第27期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2003, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第28期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2004, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第29期 朝日新聞文化部 編 朝日新聞社 2005, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第30期 朝日新聞文化部 編 朝日新聞社 2006, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第31期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2007, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第32期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2008, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第33期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞出版 2009, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第34期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞出版 2010, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第35期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2011, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第36期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2012, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第37期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2013, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第38期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2014, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第39期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2015, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第40期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2016, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第41期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2017, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第42期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2018.
立崎さん、デーリー東北の囲碁名人戦のスタッフさん、今後も宜しくお願いします。 ・第37期 北奥羽名人戦 2015年9月5,6日 今年(2015年)の前半に北奥羽名人戦の予選会が行われ、下にある8名の代表が選ばれ、9月5,6日に ƒRƒCƒ“zŠúŠÔŒÀ’èƒLƒƒƒ“ƒy[ƒ“‚Ì‚¨’m‚点I (38), ˆÍŒé•‹y‚ɂ‚¢‚Đ^–ʖڂɍl‚¦‚éƒXƒŒ30 (954), yˆÍŒéz –{ˆö–Ví ‘‡ƒXƒŒƒbƒhPart54(‘æ75Šú`) (694), y25¢–{ˆö–VzƒUEæ⎡ŒMyƒ}ƒXƒ^[ƒYz ‘æŽl‹Ç [“]Ú‹ÖŽ~]©2ch.net (710), y¢ŠEzˆÍŒéE‘ÛŠûí“ˆêƒXƒŒ part100yˆÍŒéz (315), http://www.microsoft.com/ja-jp/store/p/5chbrowser/9pmxb6tb6t2d, http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/win/1514958091/, http://www.oculus.com/experiences/go/2117304188387042/, http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00006.html, http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/newpage_00032.html, http://www.cas.go.jp/jp/influenza/novel_coronavirus.html, http://twitter.com/susucoin/status/1024276984568762369, http://pbs.twimg.com/media/DtQjJaOUcAALrvC.jpg, http://twitter.com/susucoin/status/1068517664866193410, http://twitter.com/susucoin/status/1069215955400581120, http://www.coinexchange.io/market/SUSU/BTC, http://www.coinexchange.io/market/SUSU/ETH, http://www.youtube.com/watch?v=hqjS6tHEdLM, http://twitter.com/susucoin/status/1069519694204293120, http://twitter.com/susucoin/status/1074937419860992000, http://twitter.com/susucoin/status/1074938203952607233, http://twitter.com/susucoin/status/1075429076570124290, http://www.chainrift.com/trading?coinpair=SUSU/BTC, http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1287144221/, http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1318675638/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1602753969/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1564399475/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1586763672/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1595650409/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1597385322/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1596782912/, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1591268294/, http://www.nihonkiin.or.jp/match/honinbo/, http://u-gen.nihonkiin.or.jp/live/schedule_list.asp, http://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000004.htm, http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1205877538/, http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1141525508/, http://game9.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1088424250/, http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1220717716/, http://mainichi.jp/articles/20201020/k00/00m/040/259000c, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1580906589/, http://www.nihonkiin.or.jp/match/kisei/archive.html, http://www.nihonkiin....jp/match/index.html, http://www.igodb.jp/...itle/world/newsw.htm, http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1596467740/. 本日(20日)のNHK杯戦囲碁は、またTOEICのSpeakingのテストの関係で録画での視聴。黒番が芝野虎丸名人、白番が瀬戸大樹8段という好カードでした。この対局は白の名局と言って良いかと思います。序盤で上辺で白が黒をハサミツケていた所に、黒が2線への出を敢行し、結局上辺右の白3子を取り込んだ時点では黒がいいのかなと思っていました。しかし白は手厚く構えて動じません。その後何度も白から仕掛けるチャンスがあり、特に左上隅の劫は白から仕掛ければ、上辺右の取られている白石を復活させる手が劫立てになり、白が面白いかと思いましたが白は決行せず、結局黒が手を入れました。また右上隅で黒が大きく構えたので、白は三々に付けて行きましたが、これも黒のハネにすぐ切り違えを打たずチャンスを伺っていました。それが後になって利いてきて、右下隅の黒の包囲網で黒が膨らんで白1子の動きを制止している所で、その白1子を伸び出しました。これが両にらみの好手で、右下隅を受けると中央が危なくなりますので、やむを得ず中央に手を入れましたが、そうすると右下隅でハネ出して黒地を減らす手が打てました。後は普通に寄せても白が優勢なのでそうするのかと思いましたが、貯めていた力を一気に出す感じで中央の黒に襲いかかり、結局10子ぐらいを取り込んで、ここで白の勝ちが決まりました。その後芝野名人が勝負手を何手か繰り出しましたが、白が的確に受けて、結局黒の投了となりました。名人対8段という立場を逆にしたような白の横綱相撲でした。, Your email address will not be published.
いくら名人戦だからって現タイトル者じゃないのに序列無視して名誉棋聖じゃなく名誉名人と表示していいのか? 995 : 名無し名人 :2020/10/14(水) 17:41:09.82 ID:EhUfXraL.net 100: 【タイトル戦生中継】囲碁プレミアム【講座番組】 (36) 101: 前島亜美が囲碁界にきたら全力で応援するスレ [無断転載禁止]©2ch.net (70) 102: 将棋と言えば羽生だが囲碁だと誰? (684) 103: 安斎伸彰 (70) 104: 【囲碁】名人戦総合スレッドPart66(第45期~) (250) 【囲碁】名人戦総合スレッドPart64(第45期~) 1 : 名無し名人 :2020/03/17(火) 22:54:16 ID:ahAckeCP.net 19歳で史上最年少名人になった、芝野虎丸名人に挑戦するのは果たして誰だ? | スポンサーリンク This site uses Akismet to reduce spam. 囲碁のタイトル戦情報を中心に更新しているブログです。初心者のための基本ルールなどもまとめています。将来的には初心者が一から全て囲碁を学ぶのに適した環境を整えることが目標です。 Learn how your comment data is processed.

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); shoko-laさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 2019年10月8日、囲碁の第44期名人戦は、挑戦者の芝野虎丸八段(当時19)が張栩(ちょうう)名人に4勝1敗で勝利し、史上初めて10代で名人位を獲得しました。 また囲碁七大タイトルとしても、19歳11カ月での獲得となり、これまでの最年少記録20歳4か月(井山裕太/2009年・名人位)を塗り替える史上最年少記録の更新となりました。更にプロ入りから5年1カ月での七大タイトル獲得も史上最速の快挙となりました。, プレイヤーは棋士と呼ばれ、段位によって格付けされ、「棋聖」や「名人」などの称号を持つ棋士は最大級の栄誉を手に入れることが出来ます。, 中でも特に以下の7つのタイトルは「七大タイトル」と呼ばれ他の公式戦とは一線を画しています。, *名人戦は1962年に読売新聞主催で創設。その後1976年に朝日新聞主催に替わる。, 序列を決めているのは各棋戦の賞金額です。よって賞金額トップの棋聖戦が序列1位となっています。棋士の主な収入は各棋戦の対局料と賞金によって成り立っているので、やはりそうなるのでしょう。, また棋士の昇段規定の一つに”賞金ランキングによる昇段”というものがあります。ただしこれは日本棋院の公式サイトで公開される「年間賞金ランキング」とはまた別で、七大タイトル限定の”賞金ランキング”になってます。, そしてこれは賞金と対局料の合算となりますので、例えばトーナメント方式では勝ち進むことで対局料を積み重ねることが出来ます。, よって棋士にとっては、七大タイトルで上位に勝ち上がることが非常に大事になってきます。, 七大タイトルの中でも序列1位から3位までの棋聖、名人、本因坊は「三大タイトル」とも呼ばれ、更に特別視されています。, 「棋聖」:棋戦の優勝賞金4500万円。もともと名人戦を主催していた読売新聞社が、契約金問題で日本棋院に名人戦を打ち切られ、その後和解した際に序列一位の最高棋士決定戦として創設された棋戦です。, 因みに囲碁における「棋聖」の称号は、江戸時代に特に卓越した実績を残した本因坊道策(前聖)と本因坊丈和(後聖)、本因坊秀策などにつけられた特別な尊称です。, 「名人」:棋戦の優勝賞金3000万円。タイトル戦としては1962年創設ですが、「名人」の称号は古く(将棋にも名人はありますが、囲碁のほうが古い)、江戸時代から昭和までは「名人は天下に1人」とされ、その時代に最も強い棋士が名人を名乗れると定められていました。初代名人は一世本因坊算砂です。, 「本因坊」:棋戦の優勝賞金2800万円。七大タイトル戦の中で最も歴史が古い上に、「本因坊家」は江戸時代から続く囲碁四家元の筆頭格であり、初代の本因坊算砂を始祖として、道策、丈和・秀和・秀策・秀栄など後世まで名を残す多くの名人や傑出した棋士を輩出させた名跡でもあります。, それでは囲碁の七大タイトルを最も多く獲得しているのは誰なのか、獲得数ランキングのご紹介です。, 第3位は小林光一名誉三冠で七大タイトルの獲得回数は通算35期です。2位の趙治勲とは同じ木谷實門下の兄弟弟子の関係ですが、世代も近い両者は長年囲碁界きってのライバル関係にありました。, 第2位の趙治勲名誉名人は通算42期獲得です。井山裕太に抜かれるまでは、通算1位記録を保持しておりました。, 趙治勲は6歳で韓国から日本に渡り木谷門下に入門しました。27歳で史上初の大三冠(棋聖・名人・本因坊)を果たし、翌年には史上初の名誉名人の資格を獲得しました。31歳で史上初のグランドスラム(七冠)を達成するなどの活躍を果たしました。, また本因坊では前人未到の10連覇を達成し、三大タイトル獲得も29期とこちらも歴代1位記録を保持しています。, そして七大タイトル獲得1位は通算45期の井山裕太現棋聖です。2019年、これまで長らく1位であった趙治勲の記録を追い抜き、通算獲得数の首位に立ちました。圧倒的な実力でこれまで2度の7冠達成を果たし、2017年七大タイトルを獲得し、史上初の年間グランドスラムを達成しました。, 2018年には、囲碁界初の国民栄誉賞を受賞したことで一躍時の人となりました。棋聖戦は小林光一に並ぶ8連覇中で現在もタイトル保持しております。, 長らく国内では敵なしの状態だった井山裕太でしたが、それでも2017年1月当時の世界のレーティング(強さを表す数値)の順位は世界10位でした。, 国内棋戦のスケジュールが過密で、世界に挑戦する時間を確保するのは非常に難しい状況で、出場機会もほとんどありませんでした。, そんな中、2018年には念願の国際棋戦の一つLG杯世界棋王戦にスケジュールの合間を縫って挑戦するも決勝で惜しくも中国の謝爾豪(しゃ じごう)に敗退しました。, また同年3月にはワールド碁チャンピオンシップに出場し、見事決勝進出を果たすものの、韓国の最強棋士朴 廷桓(パク・ジョンファン)に敗れました。, かつては、世界のトップを走っていた日本ですが、今は中国・韓国の選手層が非常に厚く、日本勢は国際棋戦で苦しい戦いが続いております。, となっており、日本は中国・韓国勢に大きく水をあけられている状況です。(2020年5月16日時点), 因みに日本勢の順位は26位の芝野 虎丸を最高に、27位井山 裕太、28位一力 遼となっています。, 競技人口は中国2000万人、韓国900万人に対して日本の競技人口は年々減少しており、現在200万人と言われています。また中国では囲碁棋士の社会的地位が高く、日本でいえばプロ野球選手のような存在であると言われています。, 現在、日本で最も期待されている若手と言えば初の10代名人”となった芝野虎丸名人(20)がまず挙げられます。, 2018年4月には、日中竜星戦で中国が誇る最強棋士の柯潔(か けつ)を見事に破って優勝する快挙を果たしました。, 更に2019年11月には、国内最強棋士の井山裕太を破り二つ目のタイトル「王座」を奪取し、20歳0か月で最年少二冠となりました。, 芝野虎丸名人は両親が好きだった「ヒカルの碁」のゲームをきっかけに囲碁を覚えたそうです。その後インターネット碁での対局を非常に多く取り入れるなどして頭角を現し、更に現在はAIを駆使しその実力を磨いています。, 現在、3年連続で国内最多勝に輝いていて、将棋界の藤井総太に対し、囲碁界の芝野虎丸と言われる囲碁界期待の若手実力者となっています。, そのためには若いプレーヤーが増えなくてはなりません。多くの子供が憧れるようなスター棋士の出現が待たれます。, 「ヒカルの碁」もし藤原佐為(本因坊秀策)が現代に蘇ったら・・ネット碁対局から日中韓若手対決まで。読み応え十分、完成度高すぎです。. Your email address will not be published. 名人戦: 主催: 朝日新聞社、日本棋院、関西棋院: 後援 - 特別協賛 - 協 賛 - 特別協力 - 協 力 - 優勝賞金: 3000万円(45期より) 特設サイト: 第45期名人戦特設サイト

名人戦の結果ってテレビニュースになってた? 202 : 名無し名人 :2020/10/19(月) 10:01:45.56 ID:03So+fE3.net いまの虎丸は20代前半の井山とそっくり 2019年10月8日、囲碁の第44期名人戦は、挑戦者の芝野虎丸八段(当時19)が張栩(ちょうう)名人に4勝1敗で勝利し、史上初めて10代で名人位を獲得しました。 Copyright (C) 2020 囲碁ブログ『日々ネット』 All Rights Reserved. 名人戦: 主催: 朝日新聞社、日本棋院、関西棋院: 後援 - 特別協賛 - 協 賛 - 特別協力 - 協 力 - 優勝賞金: 3000万円(45期より) 特設サイト: 第45期名人戦特設サイト

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